第5話 実作業と労働時間

 歯科衛生士浜田朋美は、患者から見えない位置で椅子にどっかり腰かけて、滅菌にかけるロールワッテをピンセットで一部の隙もなく並べている。
 (また始まったわ)
 春山歯科医院の院長夫人春山理子は、現行犯を見つけたかのような勢いで院長春山が治療を行うユニットまで飛んでいったが、ちょうど難抜歯後の縫合中で話しかけられる状況になかった。夫人から注意すると事態をややこしくするからと、院長から厳しく止められていた。
 夫人の厳しい視線にも動じず、浜田はマイペースに作業を進めている。
 浜田はきまって帰り間際になると、スローモーションのような動きで緊急性の低い雑務にとりかかる。昨日はアルコールワッテ作り、一昨日は石膏トラップの掃除。一生懸命働く気の利く子だと思ったのは最初の1カ月だけだ。
 夕方急患が入れば勤務時間が延長になることはよくあることだが、浜田の残業時間は他のスタッフと比べて毎月15時間以上多い。
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 基本的にはタイムカードの打刻では労働時間のカウントは始まらない。例えば朝、駆け込むように到着してタイムカードの打刻だけを済ませ、その後着替えや朝食のパンをかじったりしているのは当然勤務時間ではない。労使の合意により初めてタイムカードの打刻を勤務時間の開始終了とすることができるのだが、逆に捉えている経営者が多い。そんな経営者は口を揃えて「スタッフがダラダラ残業していて困る」と言う。反対に残業申請を別途させている歯科医院では「どうしてタイムカードがあるのに残業を申請しなきゃなんないんだろう」というスタッフからの不満をよく耳にする。
 先述のケースで言えば浜田の行為は単なる奉仕である。就業規則で院長の指揮命令に基づく実作業の開始終了を労働時間とすると定めておくことが有効だ。内部告発等のスタッフ暴走は途中から条件が悪化したり、職場の法律違反を知り、足元を見られることから始まる。
 最初の段階で隙のない規則作りを行うことが後々火種を作らない最善策といえる。

日本歯科新聞1638号(2010/2/23)