第2話 「解雇」のひと言は禁句

 院長春山俊彦の怒声が静かな診療室に響き渡った。
 「明日からもう来るなっ」
 洗い場にいた院長夫人春山理子が驚いて、濡れた手のまま飛び出してきた。診療後の片付けをしていたスタッフ全員の手が止まる。
 「こんな歯医者、こっちから願い下げです。解雇ってことですよね?」。歯科助手神山律子は鼻息を荒げて大声で切り返した。
 「ああそうだ。解雇だよ」
 すると突然、神山が恐ろしいほど冷静な口調になり、こう言った。
 「分かりました。院長のご指示通り明日から来ません。では30日分の解雇予告手当を私の給与口座に振り込んでいただくようお願いします」
 春山は怒り心頭、手が震えて頭の中が真っ白になった。
 実は、春山夫婦は以前から神山を何とか円満に辞めさせる方法はないかと思案していたのだ。彼女のイジメに遭い3カ月と続かずに辞めていくスタッフがこれまで何人いたことか。
 今年4月には、久々に新卒歯科衛生士が2名入り、その成長を期待したのも束の間、神山によるイジメが原因で早々に辞めてしまった。
 「これではピラニアのいる水槽で魚を飼うようなものね」と夫人が言った冗談に苦笑したのは昨夜のことだ。
 常に、このままでは人が育たないという危機感を持っていたせいで、あのようなセリフがすぐ口を突いて出てしまったが、迂闊であったとしか言いようがない。
       ◆
 労働基準法では解雇の場合、30日前に予告をするか、今回のような即日解雇であれば30日分以上の解雇予告手当の支払いを義務付けている。しかし1週間後に解雇とすれば23日分の解雇予告手当を支払えば足りる。
 2週間以上に及ぶ無断欠勤などスタッフ側に明らかな非があれば、解雇予告手当支払いを免れることができるが、「イジメの元凶」程度ではそれを免れる程の非とは認められない。たとえ売り言葉に買い言葉で煽られようとも〝解雇〟という言葉は不用意には口に出さないことが鉄則だ。穏便に依願退職に持っていくことも現代の経営手腕の一つと言える。

日本歯科新聞1625号(2009/11/10)