第9話 白衣の天使と夜の蝶

 「この人さっきから居眠りして危ないったらありゃしない。人の口を何だと思ってんのよ」。午後2時、歯石除去で来院した女性患者はヒステリックに叫び、エプロンを雑に脱ぎ捨てると会計もせずに帰ってしまった。
 赤木有香の様子が変だ。そのことには院長春山も夫人も気が付いていた。
 以前のような仕事に対する意欲が全く感じられない。そして小さなミスも多く、しまいには今日の居眠りときた。
 赤木に先程の騒ぎの真相を尋ねたものの、返ってきた答えは「すみません。風邪薬飲んだので、朦朧としてしまって」だった。
 2週間後のこと。学生時代の友人たちと久しぶりに酒を酌み交わした春山は、酔いに任せて高級クラブへとなだれ込んだのだが、そこで酔いは一気にさめた。なんと斜め前方のテーブルに男性客と親しげに話をする赤木有香がいたからだ。いつもの白衣姿より、かなりメイクが濃い。これで数カ月の疑問が一気に解決した。
 何かが変わった。そう思った原因のすべてがここにあった。
 後日、水商売を辞めれば穏便に済ますつもりで、赤木を院長室に呼んだのだが……。
 「業務外で働いているのにアルバイト禁止というなら給料をアップしてください。水商売との掛け持ちは歯科医院の看板にキズがつくとおっしゃいましたが、私達にはそんなこと関係ありません。それより少しでもお金を稼いでリッチな暮らしをすることの方が重要なんですから」
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 業務外の時間をどう使おうと勝手だという言い分は正しいが、そのために本業への精力が分散されるのは見過ごせない。
 従業員には業務専念義務がある。これは当たり前のことだが、常識さえも規定という根拠がない下では従業員を規制することが出来ない。しかも具体的な法律がないので独自に服務規律として定めておく必要がある。このケースであれば「院長への事前の許可なく他社に雇用されるなど、報酬を得て第三者のために何らかの行為をしないこと」等の一文が就業規則に盛り込まれている必要がある。

日本歯科新聞1654号(2010/7/6)