第20話 解雇後に残業代の要求

 歯科衛生士・滝野川菜由が春山歯科医院の求人を見て応募してきたのが6カ月前のこと。従順な高校生でも通用しそうな楚々とした振る舞いに、春山は心が洗われる思いがしたものだ。
 なにせ春山歯科医院には、自己主張が強く、院長春山がやりこめられそうな、気の強い歯科衛生士がたくさんいるのだ。採用は即決だった。しかし採用後、1週間もしないうちに滝野川に異変が表れた。教育係の歯科衛生士・鈴木が少し注意しただけでワァーっと泣きじゃくってトイレに駆け込んだのだ。待合室にいた患者もけげんそうに顔を見合わせていた。
 それから数時間トイレに立てこもった滝野川は、平然と診療に戻っていった。その変わり身の速さにスタッフ一同ぼうぜんとした。
 その後の2カ月間、奇行は繰り返された。ある時はリゾート地にでも行くような、つばの広い帽子をかぶり、別の日は擦りきれたジャージーで出勤。突然、突拍子もない笑い声を挙げる。ついに春山は2カ月の猶予をもって滝野川に退職を勧告。翌日から彼女は来なくなった。その日からちょうど1カ月、ポストに彼女からの手紙が舞い込んだ。
 中身は自作の出勤簿と手紙だ。朝の準備を開始する15分前に来ており、終わりは必ず15分の残業になっていた。春山歯科医院では15分単位で残業時間となる規定だ。つまり1日必ず30分の残業がつくよう計算してタイムカードを押していた。要求は約2カ月分の残業代が未払いなので自分の口座に振り込むようにとのこと。
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 結論から言えば後の15分は支払わなければならないが、朝の15分は支払う義務がない、と突っぱねても問題ない。問題社員の場合、数万の支払いを惜しんだばかりに、後々厄介な裁判を起こされるケースが後を絶たない。不幸にもこのような事態に陥った場合には、なるべく早く縁を切る方法を取ること。長引けば医院側が不利になることは火を見るより明らかだ。最大の注意点は、必ず念書を取ること。それと引き換えに支払うことだ。間違っても早く手を切りたいばかりにすぐに振り込みをしてはいけない。

日本歯科新聞1700号(2011/6/21)