第10話 明朗な人事評価

 今日の院長夫人春山理子に近付ける者は誰一人としていなかった。夫人自らデザインしたピンク色の春山歯科医院の看板に「院長春山、不倫中」とデカデカと落書きされていた。まさか本当では? 夫人の妄想は膨らむばかりだった。
 これが歯科衛生士・須崎あずさの仕業だとは誰が想像できただろうか。
 須崎と歯科衛生士の友原真美は同時期に春山歯科医院に入社し、3年目。同い年の2人はプライベートでも仲が良いことで有名だ。
 友原はそつのないバランスの取れた性格でドクター受けも良い。一方の須崎は、向上心はあるものの要領があまり良くないせいか、地味で目立たない。事の発端は院長夫人が不意の来客に気を取られ、皆の給与明細をデスクに放置したまま離席したことが原因だった。ホームページへの書き込みをチェックしに来た須崎はそれを見てしまったのだ。
 入社当時、安月給をネタにお互い自嘲して盛り上がっていた友原の給与が、いつのまにか自分より4万円も高くなっていようとは。院長が友原を気に入っていることは充分に分かっている。しかし自分は仕事をしっかりやって給料をもらっていければそれで良しとしていた。日々の業務で友原に負けているところはないと自信を持って言える。
 須崎のやりどころのない怒りが今回の大胆な行為となって爆発した。
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 明文化された評価基準がない昇給は、院長の私情が絡んでいるのではと勘繰られることも充分あり得る。実際そのようなケースも多々見受けられる。しかしそれが他のスタッフの反感やモチベーションの低下につながることは目に見えている。着眼点を記載した人事評価表を作成し、それに基づき面談等を実施していくことが望ましい。
 1頼んで10やってくれる友原とせいぜい2程度の須崎では院長の心証が変わってきて当然なのだが、トップの立場でこのような曖昧さは命取りになりかねない。スタッフ側も具体的な指針を理解すれば、見当違いの方向に頑張ってしまうことも避けられるので一石二鳥である。

日本歯科新聞1658号(2010/8/3)